2024年09月28日
これは、母のほんの一部のお話です。
初めて母の事を書きます。
私の中で、母を許せる様になったのでしょうか?
我儘だったり、人への依存や執着が酷かったり、心の波に付き添うのが大変な人でしたが、それでも、母が娘3人を愛していた事は確かな事で、私は育ててくれた両親、そして母の愛に育った事を、感謝して居ました。
父は58歳の時に脳溢血で倒れ、二人の姉は、結婚して家を出たり、妊娠中だったりして、母と私は交代で父の病院に泊まり、看病しました。
一月半で退院はしたものの、右半身不随で、練習はしていましたが、文字が書けないのが、仕事する上で大きな壁になり、要所要所だけ、それを手伝い、私は家でできる、和裁の仕事に戻り(その前はホテルでウエートレスで働いてましたが、父の看病で退職してました)片手で父の仕事を手伝い、でも、本業は、和裁で、メキメキ力を付けてバリバリ仕立て物をしていた私は、期待の星とか言われてました。
しかし、親の家業は、傾いたままで、病気後遺症に悩む父には立て直しを見込めなかったのだと思います。
事務だけでも手伝って欲しいと言われ、でも、給料はらえる見込みは当然なく、、、母には泣いて、ここで苦労して来た事業を諦めろと言うのはコクだと、私に頼んできました。
要するに、根っこから助けろと言う事?
倒れな事で、頑なだった祖父が印鑑を父に渡し、晴れて住んでいた中央区の土地にアパートを立てることに、それも、今と違って連帯保証と言うシステムがあった頃です。
皆さんいいイメージは無いと思いますが、土地さえあれば、頭金は無くても良かった時代でも有ります。
結婚もして無い私が、保証人には普通無いと思いますが、二人の姉も義理兄にも、断られたので、銀行さんは泣く泣く私でも良いといい、、、
そこからは、無我夢中です。
父の残した借金は総額4000万近く、建てたばかりの木造のアパートは、3800万のアパートローン、そして、これから立てるアパートは、確か8000万(土地は元からあったので、建物だけですね)今なら、こんな値段では建てれませんが、、、つまり私は、一億6000万近い借金を25歳の身空で背負ってしまいました。
そのプレッシャーに潰れてしまっては、何にもならない!!
実は、その時に、新たに住む家を買ったりと、色々したので、実際は2億以上の借金に1時は膨らみました。
だから、その頃の私は、必死、後ろを振り向く余裕は有りません。
父が入院中に、事務所の隅から、株式会社になった時の書類やら、借金の返済表やら、一月の売上げをまとめたり、、、マイナスばかりだけど、一切、悲観はしませんでした。
何故なら、どうして、赤字が積み重なって返済出来ない会社になったのか?
両親を最初から見てた私は、よく、理解していたからです。
つまり、その逆をやれば良い訳で!
でも、親はこれで良いと思って進めた事業ですから、私の意見はことごとく、父に跳ね返されます。
しかし、半ば父の言う通りにせずに、つまりは向かいながら、ひとつひとつ、成績を残していきました。
そのうち、それは降り積もり、父は、何も言わなくなり、、、
結果的に、不動産以外の借金は、2年から3年で返済。
父は、とても喜んでいました。
物事が好転すると、感謝を忘れた人が出てくるもので、長女が羨ましさに耐えられなくなり、毎夜母に電話が来る様になった様です。
母には、まだ借金返せただけで、蓄えを作った訳では無い、裕福では無いの、姉の家族を養えるほど、大きな土台になってないから、危険、(私は2度目の結婚相手が家を出ていってしまい、また、味方が居ない状態でした)それでも母は、もう、ノイローゼ状態です。
自分の生活もどうしようかと考えながら、父の会社の行末をどうしようかとか、、、そこに母の悩みを受け入れる余裕あるは無く、どうしても、救いたければ、母さんが個人的に援助してあげて、会社は無理、せっかく破綻状態から、免れた所なのに、無茶苦茶な事をお願いしてこないで!!
そのうち、両親と信頼関係が維持できなくなり、私は、職人さんを別の会社に移籍させた後、家を出ました。
その後母は、長女と一緒に、親戚に私が、会社のお金を使い込んで家を出たと言いふらし、(当然嘘っぱち、使い込むお金は有りません)
つまり、何故その様な事を言いふらしたのか?
その訳は、親戚から、世話になった娘を無一文で家を出したのか!っと批判される事を恐れ、先回りしたと思われます。
私は、人生を賭けて父の会社を立て直したのに、泣いてお願いしてきた母は、演技だったのかと、、、後になって母は、小金を溜め込んで数千万の貯金があったことが、分かり、、、
尚更、何のための、時間と努力だったのか?
それがもし、子供と自分の為だけの時間だったとたら、、、そんな、、、疲弊した気持ちでした。
その後母には。大きな癌が見つかり、1年半後に亡くなりました。
それらの悲しみに、耐え、心が立て直せるまでには10年の年月が必要でした。
今だに、親戚は、私が悪者になってる様ですが、会社の危機がどれだけだったのか?知る由もない人達に、後で、言ったとしても、何の価値もないと、母が親しくしていた叔母にだけ、本当の話をして、それ以外の人には、言わせとけ!って感じでした。
その後父が亡くなり、長女が私に入れ替わった後ですから、当然使い込みは相当、父の葬儀の後、父が亡くなったこと、銀行に話さなくていいんじゃない?っと電話でくちばしり、これはまずいと、兼ねてから相談していた弁護士に、相談、そして、調停で、相続と使い込んだ金額について明白にする様に、、、でも、結局、それははっきりすることができず、泣き寝入り!
でも、まーいい!
そうです、その時に一番に相談していたのは、税理士のI先生です。
ひとみさん、もう、そう言う人たちにか関わるな、分かるよ、お姉さんを思いたい気持ちはわかる、でも、向こうはちがう、お金しか見えてないし、妹の幸福をこれっぽっちも考えていない姉など、もう、葬り去って良いんだよ!
私は、声を出して泣きました。
長女も私にとって、自慢の姉で、大好きでした。
三女の私は年の離れた二人の姉にいつも甘えて育ちました。
そんな、今更、それが無しにはならない、、、(´;Д;`)
2度目の旦那も失い
母を失い
父を失い
長女を失い
これが、私の大きな負と言える人達、その後、同居した男性も負でしたが、追い出しましたし
^_^
I先生に言われた様に、全ての負を整理しました。
店を手放した時、先生は、大丈夫、絶対にひとみさんは大丈夫、
何故、店が足を引っ張ると思ったの?
利益率の一番高いのが、仔犬を売ることだから、とは、言えまだ安かったのですが、、、
先生は、だったら大丈夫、ビジョンがある、そして、努力が出来る、行動力がある!
絶対に大丈夫だから!
実際、苦しかったのは一年だけでした。
私は、あの時、励まし続けてくれたI先生に、死んだ後も感謝し続けようと思っています。
ひとみさんなら、出来る!
母は、弱かった、姉も母もお金に人の心を忘れた。
インスタのアイコンに書いてある、「真っ直ぐ生きる」とは、
私を騙して結婚した2度目の旦那を始め、母、長女、歪んだ生き方で生きる人は、真っ直ぐな心が怖いと知りました。
純粋な心は、そんな人達にとって、常に後ろめたく、生きにくくなる。
なので、私の小さな抵抗、微力ではあるけども、自分の生き方をはっきり掲げると、共感するする人が集まると信じたからです。
きっと、この世は理不尽と思って生きてる人は多いはず、特に犬が好きな人は、その純粋さに癒しを感じてる、だったらきっと同じな人が多いはず!
そう、思ったんです。
ブリーダーという仕事は、私の信念を露わにしてくれる、そんな素晴らしい仕事でも有ります。
だって、本当に、その後、私の周りには、スタッフ、お客様、が集まってきましたが、今の自分を信じて来てくれる方々です。
これは、想像以上でした。
その広がりは、加速してる様にも思います。
時には、北海道以外の都道府県からも電話やメールを頂いています。
いつも、読んでます。
ブログ、、、
頑張って下さい。
私も頑張ります。
いつも読んでます。
自分、男ですが、ママの生き方考え方、いつも応援してます。
などなど、、、
なんて、有り難い。
一時、対人恐怖症になった自分でしたが、今は、人と関わる時、信じる事から始まる、そう、思っています。
グランママでした〜(๑・̑◡・̑๑)/